『未来への遺産移殖放流』
イワナを殖やす試みはいつ頃スタートしたのだろうか。かなり古い時代、山を生活の糧としていたマタギたちのタンパク源として、彼らの猟場に魚を放流していたかも知れない? 何せマタギの暮らしは山麓から遠く、獲物を求めて何日も何日も山から谷へ谷から山へと渡り歩いた。また、かつてのサンカ(山岳地帯を生活の場として、猟をしながら山中を自由奔放に駆け巡った、住所不定の特殊社会人。)集団たちの山一筋で生きぬく根性から、奴らのネグラにイワナを放した可能性は肯定、否定もできまい。明治時代になると各地方の村誌、風土記に魚の放流記録が登場する。
いつ頃、如何なる人がイワナを放流? 誰が放したかの論争は後日、機会を設けて調査することにして、次のテーマに移る。 |
 |
今、どうして移殖放流が必要なのだろうか。その前に、魚のいない魚止以遠にイワナをなぜ放すのかと言うヤカラに対して、正真正銘の岩魚馬鹿の代表者を自認する小生から愚答を申し上げる。
「イワナが好きだから」この一言に尽きる。例えば、サケ、マスを収入源とする漁業関係者が毎年行っている採卵、ふ化、稚魚放流について意義を申し立てるヤカラは皆無だろう。確かに、魚の放流行為は「食うか食われるか」の生存競争に対象者を晒すことになる。ヤカラは反論する「無用な放流で生態系が破壊される」と。 |
「ウーム」とばかり、口をへの字に結び歯をかみ締めながら、しばらく考えた末に今にも怒り心頭,爆発寸前する我を押さえながら反撃態勢を整える。
渓流という一河川その一部分にイワナを放すぐらいで、本当に生態系が破壊されるのだろうか。悪食さでもって、手当たり次第に獲物に食らいつく野生に対して、これを自然破壊というのだろうか、、、、。ツキノワグマが雑草やドングリを食べる。ライチョウは高山植物を食べる。ウスバキチョウはコマクサが唯一の食べ物。絶滅寸前のシマフクロウを繁殖させるための取り組みは成功し、放鳥が実地されている。ラムサール条約でタンチョウは手厚く保護され釧路湿原に楽園がある。国内における佐渡島をネグラにしていた特別天然記念物トキは「きん」一羽になってしまったが中国からのトキが繁殖、少しずつ殖えて将来またもといた日本の空を舞い上がる日がくるかも知れない。
これまでに地球上でどのくらいの生物が滅んだのか私は知らない。一つの種の命が何時かある日、突然終わった。「滅び行くものはいつか滅びる」自然の摂理に従って種が消滅した事実は理解できる。例えば、巨大隕石が地球に衝突して種が絶滅した説が有力な恐竜の場合、これを不幸とはいいがたい。今、人が地球に住むことができるのは恐竜がいなくなり人間としての進化があったからだ。
現在、地球上のあらゆる生命の覇者は人間だ。人によって生き物たちの運命が委ねられてしまうのは、不平等であろう。保護されている命は生き守られて、保護されずに放置された命は不安定極まりなく、その行く末が危惧されている。
再びイワナに注目してみる。自然環境下における棲息状況は如何なるものか。イワナに携わった人であれば、「天然イワナは少なくなった」と答えは明らかだ。理由は多々ある。海への回遊を絶たれたことと、自然環境破壊があらゆる渓流に進行し、イワナの棲家を奪った。(今の平瀬化した本流が見本。昔は深い淵があった)勿論、岩魚馬鹿を地で行く、私の行動も無視できず、責任のとりかたに苦慮している。
ブナ林を伐採し、そのままにしておくとブナ二次林に育つ。山形県月山旧六十里街道を田麦俣方面へ辿る車道沿いに、有名なブナ二次林がある。直径20センチ、生育は順調のようだ。一般的なブナ伐採後の自然復活にかかる時間は、約1000年。
おそらく自然破壊された川も1000年あれば原生の川に復活するのであろう。但し、海と河川の間にはダム,堰堤などの人工物がないことが条件である。しかし、現実の渓流に河川としての機能が失われてことは何回も繰り返し言い続けてきた。
川の能力は人間が考えた想像以上のエネルギーを秘めている。天然渓流なら、土石流に見舞われて淵が無くなっても、次の洪水では水流のみが流下し、埋まった淵の土砂を一気に下流へ運んでくれる。けれども、ダムなどの障害物がある渓流では水勢が一時中断、土砂を淵から追い出す力はない。また、川の斜面に伐採が入れば、山腹からの崩壊で降雨の度に土砂が川に入る。
幾つかある川を除き、私は車道が開設された渓流を見捨てた。自分自身が自然環境破壊された位置にいなければいけない訳などないからである。幸い、道路がある利点を使い、川を管理する漁業協同組合があるから、その人たちによって渓流を復活、魚を殖やせられれば事は解決する。
「未知なる魚止の奥にイワナを放す」岩魚の先人たちが己のテリトリーに魚を放流したように、私も若かりし頃「イワナを一人占め」こう言う不純な動機に駆り立てられ、密かに奥地へ魚を運んだ。イワナの職漁師時代、一匹でも多く魚を釣り売らねば商売人として失格者の烙印を押され、温泉宿の板前に白い目でみられ、馬鹿にされた。こんな事情があり、隠しイワナ場(自分一人のイワナ釣り場)をせっせとつくった。 |
魚止があったら上に魚を持っていく習慣が実を結び、イワナは殖えた。「こんな奥に魚がいる」先人たちの苦労した顔が思い出される渓もある。しばらく岩魚楽園は安泰かに思えた。それから「源流の岩魚釣り」「渓流」「北の釣り」などの渓流釣り専門書発行のおかげで、源流釣りブームが幕を開けた。
世の中では右肩上がりの日本経済は絶好調、所得倍増、日本列島大改造,リゾート開発、ふるさと創世などがきっかけをつくり、戦後の暮らしに余裕ができたこともあり、欧米でのゆとりを象徴するアウトドアが輸入され、オートキャンプでのルアーフィッシング、フライフィッシングを手軽に楽しむ自然派志向の新人類型フィッシャーマンの登場が世に受け入れられ、日本式エサ釣り、毛バリ釣りで釣行する従来の釣り人と合わせて、大渓流から小渓流までの釣り場に釣り人の往来が絶えることはなく、イワナたちの悲壮な叫びが聞こえるかのごとく、渓は荒れた。 |
 |
|
 |
 |
 |
| ▲ページトップへ |
 |